その1では、「はにわの館」と「さきたま古墳」を紹介しましたが、下記のスポットもはずせません。
吉見百穴
こちらも遺跡系です。ビジュアル的にすごいことになってる遺跡です。
なんじゃこりゃ?という景色が広がっています。
山肌に人口の穴がたくさんあいています。
人というのは、壁があったら穴を掘りたくなってしまう生き物なのでしょうか・・・
掘られている穴の数は実に219個だそうです!
この穴たちは古墳時代後期に作られたもので、穴の中に棺を安置したものと考えられています。
この遺跡の特徴的な所は、通常古墳といえば、さきたま古墳のように地面を盛って作られるのにこちらは、山肌の斜面を利用して穴が掘られている形になっていることです。
穴には自由に出入りでき、大きなものから小さいものまで様々です。
かつては、居住用に作られた説があり、コロボックルの住居であったという説もありましたが、コロボックルの存在が確認できないとして(そりゃそうですよね・・・)この説は否定されました。
ここより2.5km離れたところに同様の黒岩横穴墓群があります。
この山肌には太平洋戦争中に作られた地下軍需工場跡もあり、戦争遺跡となっています。こちらは、戦争遺跡だけあり、なんというか、あまり良くないオーラを感じましたね。
参考情報:拝観料 大人300円 子供200円
岩窟ホテル
吉見百穴も十分な見応えがあったのですが、廃墟マニアとしての私が一番萌えたスポットはここでした。
吉見百穴のすぐそばに、こちらも人口で掘られた「遺構」が存在します。トルコのカッパドキアを彷彿とさせるその「遺構」は「岩窟ホテル」と呼ばれています。
岩窟ホテルは明治〜大正にかけて高橋峯吉という農夫が、たった一人だけでノミとつるはしだけで、岩山を削り、宮殿風の建築物を完成させたものです。
所用時間はなんと21年。
コンセプトとしては、ヨルダンのペトラ遺跡をイメージしたのでしょうか。
外見はペトラ遺跡、内部はカッパドキアとイメージして頂ければいいでしょう。すごい遺跡ですね!
峯吉は内部にも窓や部屋を設けて、せっせと掘り進みましたが、内部の完成には至りませんでした。
内部には階段、家具やテーブル、花瓶までも岩を利用して作っていたようです。すごい凝りようですね〜
残念ながら、現在は内部には入れなくなっています。
当時は物珍しさから観光客が押し寄せたそうです。
岩窟ホテルの由来には、「岩窟掘ってる、掘ってる。」と人々が言ったところからいつの間にか、「岩窟ホテル」となったということです。実際にホテルとしての機能はありません。
峯吉がすぐそばの吉見百穴に感銘を受けて、自分も掘りだした・・・かどうかは分かりませんが、たった一人で機械も使わずに、というところがこの廃墟のすごいところです。
現在は放置されるままに廃墟となっていますが、今でもその偉業の面影は見て取ることができます。
日本の廃墟の中でも、一人の男が自作したということで非常に珍しい廃墟ではないでしょうか。
朽ちるままにまかせるのはあまりにも惜しい廃墟です。
作ったのがガウディであったならば、(建物はなんとなくガウディっぽい要素もあります。)もっと大切にされていただろうにと、悔やまれるところであります。
ビジュアル的に私好みの廃墟でありました。
この岩窟ホテル前の売店は峰吉さんの子孫が経営しているようです。
現在もやっているのかは不明です。行った当時は閉まっていました。
まとめ
今回は埼玉県の面白珍スポット巡りを、2回に分けてお届けしました。
埼玉県は川越が有名ですが、風変わりな遺跡もたくさんありました。
遺跡が見れて、廃墟が見れて、はにわが作れる。そんな、ユニークな体験を凝縮して出来る場所は、ここくらいのものでしょう。
私としてはこんなデートの提案をされたら、それだけでノックアウトですが、きっとそのような人は少数派と思われるので、デートの提案は止めておきます。
廃墟好きならば、岩窟ホテルはぜひ押さえておきたい物件です。