青森県新郷村にはキリストの墓なるスポットが存在します。
ニセモノのキリストではありません。
あのかの有名な聖書に出てくるイエス・キリストのお墓が青森県に存在するというのです。
一体どのような所なのでしょうか・・・??
キリストの墓
聖書によると、イエス・キリストは西暦30年、あるいは33年にローマ人に
よって処刑されたが、3日後に復活したとされています。
イエスの遺体が実際に安置されたのは、エルサレムの聖墳墓教会内ではないかと言われています。
しかし!その憶測を覆すぶっ飛んだスポットが青森県新郷村に存在します。
それが青森キリストの墓です。
青森キリストの墓と竹内文書
青森にキリストの墓があるという発端となったのが「竹内文書」とよばれるものです。
竹内文書は竹内巨麿なる人物より公開されます。この人物は天津教の開祖となった人物で、竹内文書は竹内巨麿が祖父より譲り受けたものです。
この文書は学術的な研究はなされておらず、偽物との見方が強いですが
現在でもオカルトマニアの間で度々取沙汰される、ポピュラーな文書です。
位置づけとしてはオカルト系、トンデモ本に入る類の位置付けではないでしょうか。
さて、この文書の信ぴょう性はさておき、文書に何が書かれていたかという
とイエスキリストはゴルゴダの丘で処刑されたことになっているが、実は処
刑されたのはイエスの弟イスキリであり、イエスは日本の現在の青森県まで逃れて、そこで生涯を終えたというのです。
話が凄すぎて、もう何だかよく分からなくなっております・・・
竹内巨麿はこの墓を探し出し、青森県新郷村にあると断定したのです。
驚いたことに、キリストの墓は海外の人にもよく知られているようで
私がここを訪れた時も、外国人の観光客がいました。
私の知り合いの某外国人も青森キリストの墓の存在を知っていました!
有名だよ~とのことで(本当か?)英語の専門サイトがあるようです。
新郷村では村をあげて、このお墓を観光資源として重視しているらしく、ちゃんと案内の看板まで設置されています。
場所は何もないただの田舎の道沿いにポツっとあります。
山道を丘の方へ登って行くと、盛り土の上に十字架の立てられた箇所が2つあり、一つがキリストの墓、もう一つが弟イスキリの墓だそうです。
弟は確か、竹内文書によるとゴルゴダの丘で処刑されたはずなので、
こんなところにお墓があるはずはないのですが、それはあえて突っ込まないでおきます。
キリストに弟がいたというのも驚きですね。
お墓には資料館が隣接していて、竹内文書のコピーなどが展示してあります。
ゲストブックには埼玉や姫路から来たなど、全国からここへ来ていることが分かります。
キリスト祭りと奇妙な風習
ここでは毎年6月にキリスト慰霊祭が行われます。
お祭りは何かと思いきゃ、盆踊りと思いっきり和風のお祭りなのですが、
そこで歌われる盆踊りの歌がヘブライ語ではないかという説もあるそうです。
このお祭りには県知事や議員も参加するそうで、すごい気合の入ったお祭りなんですね。
このキリストの墓には沢口家というお家のお墓もあるのですが、この沢口家の家紋がダビデの星に良く似た家紋なんです。沢口家は村でも2番目の旧家であったそうです。下の写真のような模様です。
この地域にはユダヤの文化や風習、言葉が似ているものが残っているそうです。
例えば、幼児の額に十字を書く、新郷村になる前の戸来村という名前もヘブライ由来なのではないか、などなど、うーむ、ひょっとして本当なんだろうか・・そんな感覚になってきました。ミステリアスな村です。
現在は、観光スポットとして世界中より観光客の訪れる新郷村ですが、キリストの墓がなければ、何ということもない田舎の村なので、お墓の真意はと
もかく、村が観光で活性化してくれるのはとても良いことですよね。
観光以上の学術的要素を求めている方はちょっとどうなの?って思ってしまうかも知れませんが・・・・珍スポットとしての要素は優良です!
まとめ
今回は、珍スポット青森県キリストの墓を紹介しました。
新郷村はとてもミステリアスな村ですね。
ミステリー好きの方は一度訪れてみるのもいいかもしれません。
キリストの墓と言うだけあって、ちょっとミステリアスな独特の雰囲気に包まれた場所です。
詳細情報
住所:青森県三戸郡新郷村戸来野月33-1
バス:JR東北新幹線八戸駅から南部バス五戸駅行きで40分、終点で南部バス羽井内行きに乗り換えて30分、キリスト公園下車すぐ